ばん だいすけ
伴 大介
本名斉藤 清憲 (さいとう きよのり)
別名義伴 直弥 (ばん なおや)
生年月日 (1947-05-05) 1947年5月5日(77歳)
出生地 日本・埼玉県川口市
身長171 cm[1]
血液型O型[2]
職業俳優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台
公式サイト伴大介オフィシャルウェブサイト
テレビドラマ
『人造人間キカイダー』
『イナズマン』
『忍者キャプター』
『鬼平犯科帳』
『バトルフィーバーJ』
『電光超人グリッドマン』映画
『リング0 バースデイ』
『キカイダーREBOOT』
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伴 大介(ばん だいすけ、5月5日[3] - )は、日本の俳優。本名は斉藤 清憲(さいとう きよのり)[1]。
埼玉県川口市出身[4]。埼玉県立蕨高等学校、明治大学文学部卒業[5]。 高校在学中より演劇活動を始め、大学卒業後に劇団NLTのオーディションに合格し研究生となる[5]。この間、劇団の仕事で地方の学校を巡回公演する[6]。 1972年から1973年にかけて放送の特撮テレビドラマ『人造人間キカイダー』(NET)の主人公・ジロー/キカイダー役に抜擢されて本格的デビューを果たす[3][7]。その際、原作者・石ノ森章太郎に「伴 大介」と命名される[8]。 1973年から1974年にかけて放送の『イナズマン』(NET)で再び主演を務めることとなった際、姓名判断によって「伴 直弥」(ばん なおや)に改名[9]。しかし、石ノ森や東映スタッフへの事前報告をせずに独断で改名したため、激しい怒りを買ったという。特に吉川進からは「直弥」名義での出演を拒否され、『キカイダー01』には改名後にもかかわらず「大介」名義で出演することになった[10]。ちなみに、最も怒りを露わにしたのは名付け親の石ノ森だったらしく、『イナズマン』の現場に石ノ森が監督として現れた際によそよそしさを感じたという[11]。 1976年、『忍者キャプター』(東京12チャンネル)では三度ヒーローを演じることとなったが、誤解からスタッフとの間に確執が生じ、互いにそれをエスカレートさせてしまった。このことが原因で、内定していた『特捜最前線』(テレビ朝日)へのレギュラー出演が取りやめとなり、当面は東映作品に出演できなくなった[12][注釈 1]。1979年、伊藤武史に代わり演じた『バトルフィーバーJ』(同)の二代目バトルコサック=神誠役で2年ぶりに東映作品へのレギュラー出演を果たした。 1997年、『キカイダー』25周年に合わせて芸名を「伴 大介」に戻す[13]。同年刊行された著書『キカイダー賛歌』(池田駿介との共著)で石ノ森にインタビューを行っており、その中で伴が自身で「大介」に戻すと報告し、石ノ森も「カムバックするか」と喜んでいた[14]。芸名を変えた理由は「占いでこのままでは大ケガすると言われて軽く変えてしまった」と石ノ森に語っている[14]。芸名を戻した翌年に石ノ森が60歳で逝去し、その際のコメントで「先生のご存命中に(芸名を戻し)、ご報告出来たのがせめてもの救い(断りを入れず改名したことが原因で怒らせてしまった経緯もあるため)」と語っている[15]。 1990年代からは鶴田法男監督作品への出演が増え、特に『リング』シリーズ(東宝)では、伊熊平八郎(貞子の父役)を演じて全4作に出演。また、同時期に体調を崩して急激に痩せてしまったため周囲が憂慮するも、2008年頃に回復を果たした。2014年公開の映画『キカイダー REBOOT』(東映)には、前野究次郎役で出演している。第二次大戦中の米国での日系人部隊編成までを描いた2017年の米映画『Go For Broke--A 442 Origin Story』にはMr. Otani役で出演した[16]。 『キカイダー』で主役に選んだのはプロデューサーの吉川進の夫人で、数人の候補者の写真の中から伴の写真を選んだ[17]。 『キカイダー』放送当時のインタビューでは「直情的で、惰性に陥りやすい役柄なので新鮮でいたい。とにかく子供に夢を与えるような仕事をしたいです」と述べている[6]。後年のインタビューでも同様に「子供のための番組だから子供を裏切りたくないという気持ちはある」と述べている[18]。 『キカイダー01』では伴大介、『イナズマン』では伴直弥と同時期に二つの名義で活動したため、ファンレターで「双子なんですか?」と質問されたことがあるという[10]。 『キカイダー01』で共演した池田駿介が2010年6月11日に胃がんのために死去した際、『宇宙船』VOL.129に追憶文を掲載した。偶然にも池田の死の前日(11日)に同作で別のインタビューに答えていた。 『キカイダー REBOOT』では、新旧のジローが揃ったとして話題を呼んでいる(ちなみに役名は『前の旧ジロー』という意味がそのままの名前になったと映画のパンフレットインタビューで語っている)。 『イナズマン』に出演する際に、プロデューサーの平山亨から「キカイダーのイメージを変えて演じてほしい」と注文されたことがある。それに対してキャラクターを変えて演じることに抵抗を感じて、平山と喧嘩になりそうになったと述べている[19]。 『忍者キャプター』について、企画自体は面白いと感じたが、30分の枠で7人のキャラクターを描くことは難しいと感じたという。また、キャプターのコスチュームは初めこそ抵抗感があったものの、次第に順応しそのまま食事に出かけたと述べている[20]。 『バトルフィーバーJ』のプロデューサーは、以前「直弥」名義での出演を拒否した吉川進だったが、「直弥」名義での出演となった。これについては「怒りがようやくおさまったか、当時の自分の状況をかわいそうに思ってくれた」と伴自身は推測している[21]。俳優の京本政樹との対談では、本作について途中から参加していたため印象が薄いと述懐し、共演者の大葉健二たちがしっかりしていたため何とかやれたと語っている[22]。伴は他のメンバーと年齢が離れていたため、彼らとは離れた場所にいるイメージで役柄を演じていた[23]。 東の横綱・宮内洋、西の横綱・伴大介と称されるように[17][24]、数々のヒーローを演じていた。その後も役者としてあらゆる役柄に挑戦している。また、華々しいゲスト出演の多い宮内とは対照的に、ゲスト出演においても地味ではあるが徹底した役作りで挑む伴には根強いファンが数多く存在する。伴自身がファンから直接聞いたエピソードだが、『超獣戦隊ライブマン』(テレビ朝日)で演じた星博士の生き様に感涙しファンになった者もいるという[25]。 自身の俳優としての姿勢についてドラマに入って行きすぎるきらいがあると述べている[23]。特に特撮作品ではメカなどを無視してしまうといい、『イナズマン』や『バトルフィーバーJ』はその結果であることを語っている[23]。
来歴
人物・エピソード
『人造人間キカイダー』
その他
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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